基本は学校生活ですよ!

  ここ数年、学校崩壊というような報道が続き、多 くの幼い子供を持つ親たちが、愛するわが子の将来 を思い、心を痛めています。最近の過熱した私立小 学校志向も、こういう思いを反映しているとも言え るでしょう。
  昔、子供がウキウキとして出かけ、たくさんの友 達と暗くなるまで遊んだ地元に根ざした学校はどこ へいってこへいってしまったのでしょうか?2000年を迎えて、昭和の頃には「未来」に感じていた21世紀ももう目前。特に都会では、昔と同じように・・・という訳にはいかない事は当たり前ではあるでしょう。
とは言っても、確かにこの学級崩壊には、意識の上で多少サラリーマン化した公立小学校の先生方にも責任の一端はあるかもしれません。しかし、学校には「とりあえず行っていればいいのだ」というような意識が、将来受験をする家庭の親たちの間に芽生え、授業内容については言うに及ばず、学校行事や父兄の協力の要請のあった活動などにも消極的で、一にも二にも「受験すること」が一番の優先順位・・・というような親が増えている現状にも問題はないでしょうか?そういう父兄は、学校から見れば「確かにクラスに存在はしているけれども、実際にはいないに等しい親(親子)」と言えるでしょう。これも、学校そのものの意味が希薄のなった大きなポイントだと思うのです。
 実は、こういう問題は、公立小学校に限った事ではありません。たとえば、私立の小学校でも、中・高があるような一貫校ではない場合、結局は父兄の間に同様の意識があるようです。つい2、3年前は、その私立小学校に入学したいがために躍起になっていたはずの親達が、いざ子供が目出たくその私立小学校に入学してしまうと、今度は、次の中学受験のほうに意識がいってしまい、あんなに熱望したはずの私立小学校の環境に対する意識は、もう希薄・・・
 要するに、こういう親達は、常に先、先を見つめているだけで、実際に今、愛する子供が歩いている道がどういう道なのか?またその道のまわりにはどんなものがあって、そういう様々なものから子供がどんな事を学ぼうとしているのか、全く考えようとしていない・・・先を見つめて、と言えば、将来をしっかりと展望しているように聞こえますが、実際にはこういう人達の「先を見つめて」は、自分が思い描く到達地点という幻に心を奪われているだけで、そこが本当はどんなところなのか、子供にとってどんな価値があるのか、実際はほとんど知らないし、また知るための努力もしてはいないのです。

 学校に「ものを申す」親には、二つのタイプがあると思います。
まずは、我が子だけを見つめ、その我が子にとって最良の環境作りをするために、学校にいろいろと要求する親。そういうタイプの親で、中学受験を考えている親達の場合は、より勉強に有利な環境作り・・・とでも言うのでしょうか、たとえば、学習の進度や、進行の仕方等、我が子と学習の歩調の合わないクラスメイトは当然鬱陶しいと思っているわけですし、受験に関係のない教科内容については無頓着、無関心・・・
二つ目のタイプは、我が子が一日のほとんどの時間を過ごす環境である学校を、我が子のみならずそこで過ごすすべての子供達にとってより有意義な環境となるように要求をするタイプ・・・です。現在、こういう奇特な親の話しは、あまり聞かなくなりました。

 「学校」とは、学業のための環境、それだけではありません。
学校では、子供達はクラスの友人達と一緒にワイワイと学習したり遊んだりする事で、協力することの重要性を学び、時には反目しあう事で、耐えたり、協調したりすることの必要性を学ぶのです。そこで楽しい思いをしたり、いやな思いをしたりしながら、多くのことを感じ、経験したことをすべて自分の力に変えていくとことです。もし、勉強をするだけなら、家庭教師をつけてもらって、友人に邪魔されることなく、自分のペースで家庭学習出来るのはありませんか?
学校は、生きていく事そのものを学ぶ場なのです。
 父権が極端に弱くなった今日、家庭の中で大きな存在は母親だそうです。父親は多少、仕事の忙しさを言い訳をして、違った時代、違った環境に生きる娘や息子に、何とか自分が歩いてきたような「真っ当な道」を教えようとします。しかし、多くの場合、美化されたご自分の昔を押し付けようとするために、子供達を白けさせてしまいます。そこに、勉強のことばかりを口うるさく言う母・・・子供を愛していると言いながらも実際には子供そのものは見ようとはせず、自分にとって都合の良い理想像を描きながら細かい指示、注文をする母・・・・子供は、そういう家庭で何を学ぶのでしょうか?きっと答えは「反発」?少なくとも、「信頼」ではないでしょう。

 確かに、様々な問題を多く抱える現代の小学校です。子供達の中には、学校ではなく、むしろ塾の生活が自分にとって楽しく、塾の先生や塾の友達との時間に「価値」を見いだしている子供もたくさんいます。よくよく考えてみれば、それは至極当然のことですね。なぜならば、少なくとも「受験をする」という事では皆同じ方向を向いていて、同じことに意義を見いだし、毎日を送っているからですね。また先生方も子供達のそういう思いをしっかりと受け止め、何とかそれに応えようとなさっている・・・ここでは、先生も生徒も、みな同じものに価値を認めている「同志」なのです。多少の考え方の違いはあったとしても、全く別の事を考えたり、全く別の方向に向かって行こうとしている人は先生でも生徒でもいないわけですから、居心地が良いのは当たり前・・・
 しかし、私達が生活をしている「社会」はどうでしょう?決して、皆が同じことを考え、同じ方向に向かっているわけではありません。
 子供達が成長し、これから生きていく社会・・・ そこでは、やはり「雑多」な中の自分を理解し、「他」と出来るだけ楽しく共存していく術を身につけなければ、自分にとっても楽しい人生はやって来ないでしょう。
 そういう意味では、学業の面では「塾」は学校のかわりには成り得ても、それ以上のものにはなれません。学校という環境は、あくまで子供達にとって「生きることを学ぶ場」として絶対に必要なのです。その絶対に必要な場を、社会人である親が、なおざりにして良いわけはないのです。もし、子供がついつい塾を大事にし、学校の友人や学校の行事に対して意識が希薄になってきたとしたら、それにストップをかけることこそ、親の仕事です。
 学校という環境の中で、人として、大人としてあるまじき行為が学校側にあった場合は例外ですが、やはり子供にとって学校は、最も大切な環境である・・・あらためて親は、認識になければならないのではないでしょうか?

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