準備期間は宝物 

   熾烈な中学受験のための準備、それは親が考えている以上に子供にとっては大変  なものです。
   考査の直前、または考査の学年になれば、本人達にもそれなりの意識が芽生え、  自分自身でも受験への思い、考えなども生まれてくるでしょう。
   しかし、準備を始める頃の子供達は、「中学受験」などと言われたところで、は  るか先、はるか遠くのイヴェントですし、それ以上に「何のことだか理解出来な   い・ピンとこない」ものであるに違いありません。そういう、子供にとってはまだまだ訳のわからぬもののために費やす時間・・・その膨大な時間を、子供のために活かすも殺すも「母親しだい」である、と私は考えています。
 
 親の考える中学受験準備が、「志望校に合格するためのもの」であるとすれば、それは何と薄っぺらなものでしょうか?
 確かに、目指した限りは、結果だって思い通りであって欲しい!そうですね。しかし、そんなふうに思って、2年、3年・・・と準備をしたとして、もし結果が芳しくなかったなら?それでは、子供にとってその年月は何だったのでしょう?どんなに将来への展望を持ち、それが子供のためだと信念を持って親としてエールを送り受験準備をしたとしても、実際にはまだ10歳そこらの子供です。自分の時間を多少なりとも拘束され、たまには子供がいやだと言うことも強制することもあるでしょう。その結果が思い通りでなかったなら?
 受験の準備は、確かに「合格」を勝ち取るための準備です。
 しかし、準備の数年間、子供達が時には頭をかきむしり、泣いたり、叫んだり、イライラしたりしながらも、それでも一生懸命にがんばった時間は、『学力の伸び』や『合格や不合格』という意味だけでなく、『努力・忍耐力・継続する力・達成感・etc.・・・』様々な面で価値ある、本人達の財産なのです。また、受験が終わり結果が出た時点で、「有意義だった」と思えるような準備期間、準備内容でなかったするならば、それは子供にとっても、そしてそれを支えた親にとっても悲惨な「時間の浪費」に他なりません。
 終わった時に、ぐぐぐーっと伸びをしながら「ああーーあ、大変だったーーー、でも、おもしろかったよね、塾に行ってた頃の生活も。何だか、終わっちゃったら、ちょっと寂しい気もしちゃうよなあ・・・」などと言える、中身のある、充実した準備をさせてやる事も親の責任であり、親にとっては「学力の伸び」以上に重きをおいて取り組まなければならない事、と私は考えます。

 極端な言い方をすれば、受験の合否に関係なく、準備の期間は子供達の成長を促す大きなイヴェントにしてやる責任が親にはあるのだ、ということを、認識しなければなりません。
 

 中学受験が、受験というものが、数値によって決定されるものである以上、偏差値や学力、テストの結果など、そういうものに目を奪われるのは仕方のない事です。しかし、仕方がない、とは言え、そういうことだけに意識が集中してしまう自分を時として意識し、心のどこかで???という認識もないtpすれば、それはあまりに悲しい事だと思います。
 中学受験をする必要のない私立の一貫校に通う子供達、また地域の公立中学に進学することを決めている子供達は、確かにのんびりとした小学校生活を送ることが出来て幸せかもしれません。しかし、人は、子供であれ大人であれ、自分が経験するすべての事をバネに、成長していくことこそ大事なのではないでしょうか?そのように考えれば、中学受験をする子供達は、小学生にとっては少々過酷な準備をすることによって、大きく自分を成長させるチャンスに恵まれた、とも言うべきです。

 そのチャンスを上手に利用に、貴重な財産、貴重な宝物を手にするか、それともたとえ合格したとしても、決して思い出したくもない辛く悲しい経験をするか、それは親の意識にかかっています。
 
 親の責任、それは学力を伸ばすことでも、合格をさせることでもないはずです。これから子供達が「一人の人」として生きていく力をつけてやること・・・
 
 準備期間を、是非、子供達の貴重な財産、宝物にしてあげてください。

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