言葉ではなく、心を聞き、心を伝えましょう
 

   中学生くらいになってしまうと、そうそう子供は唾を飛ばすようにして親に何か話すようなこ  とはなくなりますが、むかし子供達が小さかった頃、いろんな話しをしてくれませんでしたか?
 学校の帰りに見たアリの行列・・・
 工事現場のクレーンの話し・・・
 角を曲がるまでずっと立ち話をしていたおばあさんの話し・・・
 体育の時間に先生がよそ見をしていて転んだ話し・・・
一生懸命に子供達は話してくれました。そして、母親達もそんな一生懸命な様子、楽しそうな様子をうれしく思い、うん、うん・・・と聞いてやりました。そんなふうに真剣に聞いてやっていた時には、まるで自分が子供と一緒に、そこにいたような気分になり、とてもうれしくなったものです。

 少し子供が大きくなって、話しの内容な変わってきます。
今度はゲームの話し?それともテレビで歌うアイドルの話しかもしれませんね。あまり母親達にとっては興味のない話題には、昔のようには真剣に耳を傾けてやる気にはなれないものです。そして、どこか上の空・・・子供が話している途中、「ちょっとゴメンネ、炊飯器のスイッチを入れなきゃ・・・」とか「あっ、雨が降り出しそう、洗濯物を取りこまないと・・その話し、また後でね・・・」などと平気で話しを中断させてしまう・・・こんな経験はありませんか?

 ちょっと暗い話題ですが、数年前、東京の文京区で、母親が幼稚園児である我が子のお友達の妹を殺害した事件がありました。もうお忘れになったかもしれませんが。その事件の後、裁判の中で証人に立った加害者のご主人(僧侶)が言った言葉です。
 「私はずっと、妻が話していても「言葉」だけを聞いていたのです。その言葉の奥にある妻の悩み、苦しみ、悲しみなど、知る由もありませんでした。私が妻が話す言葉の向こうにある「心」を聞いてやっていたら・・・」
 私はこの言葉が、非常に印象的でした。
そうです、私達母親も、アリの話しを聞いていた時には、一生懸命にアリの話しをしている子供達の「心」を聞き、「心」に触れていたのです。だからこそ、子供は次の日も、その次の日も、(帰ったらママにこの話しをしよーっと!きっとママは笑うだろうなあ・・・)といそいそと帰りの道を急いでいたのでしょう。あの頃、お母さん達は子供の言葉を耳ではなく「心」で聞いて、幼いながらの喜怒哀楽を共有していたのでした。

 大きくなった子供達は、もうアリの話しはしないでしょう。
しかし、お母さん達がアリやクレーンの話しを聞いた時と同じ「心」で子供達の話しを聞いてやれば、ゲームやアイドルなどという話しの内容はともかく、子供のそういう、思わず親に話したい、聞いてもらいたいという「熱い思い」は伝わってくるのではないでしょうか?
 内容は何であれ、親が一生懸命に「心」を開いて「心」で聞いてやろうとすれば、子供はきっと大きくなっても心を開いて親達のほうを向いていてくれているでしょう。
 そして、親が子供達に何かを伝えようとする時も、子供を思う熱い思い、大きな愛情という「親の心」を、口先だけでなく、心を込めて伝えれば、きっと理解してくれるはずです。いえ、少なくとも、「うっせーなー」という言葉や、無視をするという態度ではなく、聞こうとしてくれるはずです。親の見栄や傲慢な自尊心などを先行させて、子供の心を考えることなく、何でも高飛車な態度で話したとしたら、反発以外きっとそこには何も生まれはしないでしょう。なぜ?そこには「心」がないからです。

 すっかり日が暮れているのに、帰って来ない・・・クラブで遅くなる、とは言っていたけれど、いくら何でも遅すぎる・・・
 だんだんとお母さんは心配になってきます。心配を通り越してしまうと、悲しみから腹が立ってしまう・・・そこに子供は帰ってきます。
 ピンポーンっと鳴って、ドアを開けたとたん、お母さんは言います。「遅いじゃないの!何してたの?もー、あんまり遅いから、びっくりするじゃないの!!もー何時だと思ってんの?」すると、きっと子供は、ムッとして「クラブがあるって、言ったでしょう!」
 さあ、どうですか?ここにお互いの心はあるでしょうか?
 
 帰り道、きっと子供達は(思ってたよりずっと遅くなっちゃった・・・早く帰らないと・・・)と、きっと駆け足する思いだったでしょう。実際に、家の近くまで来ると走り始めたかもしれない・・・ それなのに、ドアを開けたとたん、鬼のような顔をしたお母さんが「遅いじゃない!・・・・」
 悲しいほど、腹が立つでしょうね、子供だって。腹を立てる事が、十分に理不尽であることはわかっていても、そんなふうに言われてしまうと、やっぱりムカッときてしまう・・・

 ドアを開けたとたん「あー○○ちゃん!お母さん、心配したのよお。良かった、何もなくて・・・クラブがあることは聞いてたけれど、あんまり遅いから心配しちゃった・・・ハイ、おかえり!」と迎えてあげたとしたら?きっと子供は「ただいま!ごめんね。思ったよりクラブが長引いちゃったんだ。あー、疲れた!ごはん、ごはん・・・」
 本当は、お母さんは心配をしていたのです。何かあったんじゃないかって。心配が心配を呼んで、胸が痛くなって・・・
 こういう優しい迎え方をするのって、決して子供に媚びへつらっているわけではないでしょう?素直に、とても素直に「母親の気持ち」を伝えただけなのです。思いませんか?だからこそ、その母親の気持ち、愛情が伝わって、子供も思わず(心配してくれてたんだ・・・心配をかけちゃったんだ・・・)と優しい気持ちになるのです。

 どうぞ心で語り、心で言葉を聞いてあげませんか?お互いの心の平安のために・・・


 HOME